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旅の回想「北米横縦断バスの旅」prologue

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アメリカを旅したいと思ったのは、いつ頃からだったのだろう。

小学生の時、兄貴に聴かされた(当時はちっともイイと思わなかった)ビートルズがきっかけで次第に音楽が好きになり、田舎のおじさんの影響で中1からギターを弾き始めた頃も、ギターのタブ譜を見ながら歌っていたのは、いつもビートルズだった。
自分でレコードを買うようになってからも、手にするのはレッド・ツェッペリンやストーンズやピンク・フロイドやテン・イヤーズ・アフターやクリームetc.といったUKロックが多く、アメリカの音楽にはそれほど興味が向かなかった。
なのになぜ僕はアメリカに惹かれたのか。
きっといろいろと複合的な理由があるのだろうが、なかでも子供の頃に日本でも放映していたアメリカのTVドラマのあったかい家族関係やリッチな家(広いリビングに大きな冷蔵庫、大型犬etc.)への憧れが潜在的に身体に残っていたこと、それにUSロックが好きな友達の影響もあったのだと思う。そしてなりより音楽好きが高じて就職した音楽出版社の洋楽雑誌「jam」創刊号の巻頭を飾ったブルース・スプリングスティーンとの出逢いが大きかった。当時はまだデビューしたばかりで日本では無名だったスプリングスティーンの独占インタビューを巻頭で、しかも表紙にもしていた「jam」の記事で、僕はスプリングスティーンを通してアメリカやアメリカの音楽に夢中になった。
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それからしばらくして同雑誌の編集メンバーになった僕は、誌面でデイヴ・マーシュ著のスプリングスティーンの連載を始めた。翻訳は、ローリング・ストーンズなどの書籍を手がけていた小林宏明氏にお願いした。のちにこの連載は『明日なき暴走』という題名で単行本として出版された。

時は70年代末から80年代に入る頃。イーグルスやドゥービー・ブラザーズ、ボブ・ディランやCSN&Y、ジャニスやオールマン・ブラザース・バンド、バディ・ガイやドクター・ジョン、マーヴィン・ゲイやテディ・ペンダーグラスetc…。西海岸、東海岸、南部、ジャンルも超えて、手当り次第にいろんなUS音楽を聴いていった。
そんな時に、NYの特派員から、子育て・主夫をしていたジョン・レノンが5年ぶりにレコーディングを始めたというニュースが編集部に入ってきた。1980年夏のことだ。もともと僕の音楽歴の原点のビートルズ、しかも4人の中でフェイバリットなジョンのNYでの活動再開に心が躍った。すぐにインタビューをオーダーした。
レコーディング中のアルバムのタイトルは『Double Fantasy』。NYからインタビュー原稿が届き、「jam」の表紙・巻頭が決まった。雑誌の発売日は12月9日。その前日がジョンの誕生日。そしてこの誕生日にジョン・レノンはNYの自宅、ダコタハウスの入口で射殺されのだ。
射殺のニュースは、日本時間で翌9日に伝えられた。おりしも「jam」の発売日。ヘンな話だが、なぜか運命のようなものを感じてしまった。
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今考えれば、その時なのだと思う。アメリカを旅したい。アメリカに行ってジョンが命を失った場所をこの目で見てみたい。できればアメリカの大地を感じながら、くまなく見てみたい、と思ったのは…。
そのために選んだのが北米を横縦断する路線バス、グレイハウンドバスだった。このバスの旅では、良くも悪くもいろいろな経験をすることになるのだが。

結婚してちょうど半年のことだった。それから7ヶ月後の7月13日に出版社を退職した僕は、その翌日、妻と一緒にアメリカへと旅立った。
背負ったバックパックには、往復エアチケットとグレイハウンドバスの乗り降り自由の1ヶ月周遊券。そして、ほんの少しの着替えを詰め込んで。

1981年7月14日、夕方、僕らを乗せたジャンボ機はサンフランシスコに向けて離陸。
いよいよ僕らの旅は始まったのである。

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by mahalohilo | 2009-01-09 21:25 | 北米横縦断バスの旅 | Trackback | Comments(0)  

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