今日も、延長戦を続ける大人たちへ、贈るGood Songs

c0193396_10545418.jpg今日から7月。
早朝からセミの大合唱で起こされる季節がやってきました。

パイプラインからスージグァ(路地)を少し入った所にある自宅までは樹齢何年?というぐらいのガジュマルの大樹が何本も生い茂っていて、まるで小さな林のよう。

夏になると、空が明るくなった途端、夜の間この木々で休んでいたセミたちが一斉に声を限りに鳴き始めます。そしてその声につられるように、鳥たちもそれぞれ特徴のある歌声で大合唱に。
都会では考えられない、自然の目覚めとともに起きる生活です。
朝6時前に起きて、夜は11時を待たずにベッドに入るなんて、東京で暮らしていた頃は考えられなかったな。
沖縄に移り住んでから、原稿を書くのは深夜だった東京とは真逆な生活になりました。


c0193396_10553659.jpg今日は小潮。海の干満の差が一番小さい日です。
引き潮の浅い海でひと泳ぎして、家に戻ってからコーヒータイムの後、ひと仕事終えたところです。

窓の外に広がる青空にはホワホワ雲がゆっくりと流れています。爽やかな風が木々を揺らして、サワサワと音を奏でています。今日も暑い日になりそうです。


ところで今日7月1日は、馬場俊英クンのニューアルバム『延長戦を続ける大人たちへ』がリリースされる日。そこには背中を押してくれる応援歌的な曲もあれば、日常を歌った穏やかな曲もある。力作だ。

馬場クンは28歳でメジャーデビュー、レコード会社との契約切れの後は自らインディーレーベルを立ち上げ、こつこつ続けていたライブを通して徐々に支持を受けていった遅咲きのシンガーソングライターだ。そういう地道な経験があるからこそ、彼の歌には説得力があるのだと思う。

馬場クンのこの新作について僕が書いた原稿を掲載します。
ちょっと長い文ですけど、少しでも馬場クンの音楽に興味を持ってもらえればうれしいと思います。

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◆『延長戦を続ける大人たちへ』馬場俊英

 遠くで、近くで、白い波が立っている。強い風に押し動かされた海原がうねりを増しながら次々と寄せてくる。風に吹き飛ばされた波の飛沫がまるで汗の粒のようにも見える。
 海には一日として同じ表情はない。荒れた日もあれば、凪いでいる時もある。しかし、たとえ凪いでいても決して波は止まることがない、いや止まることができない。一度動きだしたら、動き続けるしかない──まるでそれは人生の映し鏡のようだ。

 馬場俊英が約二年ぶりのニュー・アルバムをリリースする。
 前作『青春映画が好きだった』が三十代に書きおろした楽曲とすれば、このニュー・アルバムはまさしく四十代に入ってから馬場が感じている現実を綴った作品である。
 アルバムのタイトルは、『延長戦を続ける大人たちへ』。

“延長戦”──人生との向き合い方次第で、その言葉の捉え方は人それぞれ違ってくるだろう。若い頃は勝ち負けばかりを気にして、できることならコールドゲームでキメたい!と願う。でもある時、勝つことだけがすべてなのか。なにがなんでもこの時までに決着をつけなければいけないことなのかという想いがふと頭をよぎる。いや、自分なりの歩幅で、自分が納得ゆくまで歩き続けていくこと、そしてその間に眺める風景の方が大事なのではないか、と。

 ニュー・アルバムに収録の「夏の午後の長い坂道の途中で」の、情けなくて、みっともなくて、かっこ悪くて、バカみたいだと思いながらも、虹が出るその日までは…と延長戦を続ける男も。クタクタに疲れ果てた深夜のホームで受けた君からのメールで初めて誕生日に気づく現実に愕然とする「ファイティングポーズの詩」の男も。子供を母親にあずけて、20年の時を経た今、恋人だったあの頃を思いながら、これからもともに歩み続けていこうとする「二十年後の恋」の四十代の夫婦も。みんな、それぞれが、それぞれの“延長戦”の途上にいる。この先に続く道を自分の足で、自分のペースで進んでいこうとしているだけだ。

「試合の勝ち負けよりも、最後の回に引き分けでもいいですよね。いいゲームだったね!って最後に言えたなら」と、馬場はいう。
「今42歳になって思うのは、二十代、三十代はうまくいかないと思うことがたくさんあったけど、別に悲観的になって、あきらめて、投げやりになったりする必要もなくて。自分が今できることをやり続けていれば、いつか時を経て、あの頃は無駄じゃなかったと思えたら、最後によかったんだというふうに言えたなら、それで十分、という気持ちになれたんですよね」

c0193396_11134543.jpg 十代も、二十代も、三十代も、そしてこれからも、自分のまわりにいつも風は吹いている。向かい風も、追い風もあるだろう。冬の凍るような風も、夏のぬるい風も、枯葉をさらさらと散らす風も、そして桜の花の薫りを運ぶ風も…。虚しさも歓びも痛みも充実感も達成感も、みんな風が運んできては、いろんな感情を残していく。不安になったり、満たされたり。でもその風を受けとめるのは、すべて自分自身。

「人とくらべたりすることが少なくなりましたね。どうしてあの人は、あんなふうにできるんだろう!? あの人ができるのに、なんで自分は…と考えることも、あまりなくなった。みんな自分には自分のカレンダーがあって。誰かが夏を過ごしている時に、たとえ自分が凍えるような冬の中にいても、そういう巡り合わせになっていると思ったんですね。きちんと自分のカレンダーをめくり続けていれば、いつか自分のタイミングで自分にも春がやってきて、夏のカレンダーをめくる日がくる。きっといつかそうなるんだって。自分のペースで頑張っていけば、いつか叶うことがたくさんあるという実感を持てるようになったんですよね」

 閉じていた夢の翼で、もう一度風を受けとめたくなる。内ポケットにしまってある約束を、もう一度確かめようと思う。自分らしくいればいいじゃない。自分のカレンダーを信じて。『延長戦を続ける大人たちへ』は、そう教えてくれる。

 悩んだ時、迷った時に背中を押してくれるエールソングがフィーチュアされて、馬場はサラリーマンや大人世代の応援者的な存在になった。でもそれだけではないな、と思う。なにげなくただ流れていくだけの日常を描写した歌や、そばにいるだけで心があたたまる男女のさりげないラブソングの中にも、僕は馬場俊英らしさを感じるのだ。
「一瞬のトワイライト」「ただ君を待つ」「遠くで 近くで」「八月のレイン」「STATION」「鴨川」、それにニュー・アルバムの「雨のシーズン」や「二十年後の恋」や「君がくれた未来」の中に。そういう歌を聴いていると、僕の心はいつも暖かい風が流れていく。

 今、この齢だから歌える曲がある。今、この齢になったから沁みる歌もある。『延長戦を続ける大人たちへ』は、そういう歌ばかりだった。

 今も、どこかの街で延長戦を続ける大人たちがいる。彼や彼女たちは、社会という白波が立つ海原を眺めながら、守るべきものを乗せた船の舵を、今日も握り続けている。厳しく吹きすさぶのか、それとも優しく吹き流れるのか。いったい明日はどんな風が吹くのだろうと想いをめぐらせながら、延長戦のような人生の船旅を続けている。
 いつかその旅の途中で、虹でも見れたなら…。それで十分じゃないか。 文/伊藤博伸

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by mahalohilo | 2009-07-01 11:21 | 馬場俊英 | Trackback | Comments(0)  

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