ZARD坂井泉水への記憶 part-1 その1

時が経てば、徐々に記憶が薄れていくというのも、きっと事実なのだろう。
でも心に強く刻まれた出来事は、人がいうほど簡単に消し去ることはできないのも事実ではないだろうか。
2007年5月27日。
坂井泉水が虹の橋を渡ってから、丸6年が過ぎた。
あの日のことは、いくら時が流れても変わらず鮮明に心に刻まれている。
ファンの方たちにとってもその想いはきっと同じだろう。

七回忌を迎えた今、当時僕が記した想いを何回かに分けて載せたいと思う。
坂井泉水と同じ時代を生きた僕らの素晴らしい記憶とともに…。

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「ZARD坂井泉水への記憶 part-1 その1」


 亡き人の歌が響きわたる。その歌に重なる大勢の人たちの心の軋みのような歌声が、いつしか大合唱となって大空に溶けていく……。
 先日他界した忌野清志郎の葬儀のニュースを見ながら、僕は坂井泉水のことを思いだしていた。所は、同じ東京都青山葬儀所。別れを惜んで集まったファンも、ほぼ同数の4万人超。多くの人たちに勇気や優しさを与えてきた日本音楽界の偉大な二人のアーティストの永久の旅立ちを見送るため自然発生的に湧きあがった歌声。それは、精一杯の愛と感謝の大合唱だった。

 5月27日は、ZARD坂井泉水が天に召された日。突然の訃報から、はやいもので6年が流れた。
 坂井泉水はどういう女性だったのか。よくそう聞かれる。メディアへの露出が極端に少なく、実体が見えてこない分、かえってミステリアスなイメージすら抱かれていた彼女。直接インタビューした数少ない者のひとりとして、また生前最後の曲まで取材をしてきた僕の中の坂井泉水は……おおらかで、純粋で、誠実で、音楽を心から愛している笑顔の素敵な女性というプラスの印象しかない。

 彼女に初めて逢ったのは、92年夏のことだ。その前年に「Good-bye My Loneliness」でデビューしたZARDは、坂井がメインヴォーカルをつとめるバンドだった。黒の衣装が似合いそうなロックバンド風の男性メンバーをバックに歌う彼女の伸びやかな歌声と清楚な佇まい。それが坂井泉水の第一印象だった。

 初インタビューの日、繊細でシャイで物静かな女性という勝手な先入観を抱いたまま僕は約束の場所に向かった。しかしそこには僕の先入観とはまったく違った、とても明るくて、気さくで、おおらかな彼女がいた。
「私は、意外と体育系なんですよ!」とか、「けっこうラテン的なノリのところもあるんです(笑)」と笑顔で話す姿に、パブリックイメージとの落差を覚えたことが思いだされる。ただ自らの作品について語る時は、精一杯の言葉を尽くして一所懸命に想いを伝えようとする誠実さが伝わってきた。この音楽に向かう真摯な姿勢は、最後のインタビューまで変わらなかった。

 彼女がいう「体育系」とは……。アスリートが自らの限界に挑戦して“上”を目指すのと同じように、坂井も作品を完成させる過程で、いっさい妥協は許さない、という意味での「体育系」ということだ。
 本当にストイックなアーティストだった。納得のいくまで何度も歌詞を書きなおすのは当たり前。歌入れも同じだ。さらに一度できあがったものでも気になるところがあれば、一度ゼロに戻して再度レコーディングをしなおす。だから結果的にスタジオにこもる時間も長くなる。
「一週間スタジオで徹夜した」と言っていた時も、けっしてそれが苦ではなく、納得できる作品が仕上がったことの歓びで、「徹夜続きでしたので、次の日はさすがに体操のお姉さんのような服装で、ジョギングシューズでスタジオに行きました(笑)」と、かえって楽しそうだった。
                            (つづく)※転載を禁ずる
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by mahalohilo | 2013-06-09 10:36 | ZARD | Trackback | Comments(0)  

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