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ZARD坂井泉水への記憶 part-1 最終回

東京ライフは今日で5日目。
梅雨の影響で、今朝から雨が降ったりやんだり。
気温は昨日より5℃下がったけど、蒸し暑い日だ。
上京してから取材やライブで毎日出ずっぱりだったので、今日はオフにした。
たまっている本を読んだり、ORANGE RANGEのニューアルバムを聴いたりしながら過ごそうと思っている。

少し日にちが空いてしまったが、ZARDの続きを読んでほしいと思う。

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  《ZARD坂井泉水への記憶 part-1 最終回》

 06年5月のZARD通算42枚目のシングル「ハートに火をつけて」が生前最後のインタビューになった。初夏にむけての爽やかなこの曲について彼女は、「ポップで明るく、元気のいいサウンドはイメージしていました」という。ここで彼女が伝えたかったのは、「後悔しないように!」ということ。

「『ハートに火をつけて』とは、どういう心境の時に出てくる言葉なのかなと、自分なりに考えてみたんです。はじめ私はこの言葉をポップで明るいと解釈していたのですが、そう単純なものではなくて。勇気を奮い立たせる時に出てくる言葉、哀願に近いのかな…と思うんです」

 この“哀願”という言葉。と同時に〈あの時 君の孤独をわかってあげられなかったね〉〈自分で選んだ道だもの 後悔しないように……〉という歌詞が心に引っかかった。
 このインタビューが06年3月。その年の6月から入退院をくり返しながら闘病生活を送っていたときく。とすれば、この歌詞を書いた時期は……? 

 今、ふと思いだしたことがある。さかのぼることその数年前、彼女の書く歌詞が変わってきているように感じるのだが、と尋ねたことがあった。
 それまでの風景を描きながら主人公の心情を描写する作風から、心情のみを綴るものへと変化しているのでは、と。
 それに対して、彼女は、「そうですね。具体的な話をすれば長くなりますので……」と言葉を濁しながらも、「ただ死生観を考えさせられるような出来事に遭遇したり、関心を持ったり。若い頃はリアリティがなくて書けなかったけど、そういう年齢なのかもしれないですね」と、答えてくれたことを思いだす。
“死生観を考えさせられるような出来事との遭遇”とは。そこから時間軸を数年たどった先の“哀願”“後悔しないように”という言葉の中に、なにか彼女の心の変化や、内にある深い想いを感じるのである。

 生前にレコーディングされた最後の曲が、07年12月発売の「グロリアス マインド」。録音は「ハートに火をつけて」の発売を控えた06年4月に行われた。
 録音当日の彼女は体調がおもわしくなく、心配する母親に付き添われてスタジオにやって来たという。まだサビの部分しかなかったメロディに歌詞をつけ、あまり体力がなかったため、歌ったのは2回ほどだったとレコーディング関係者は述懐する。
 そこまでしてレコーディングに向かった彼女の強い精神力には頭が下がる。最後までZARDの坂井泉水でいたかったのだろう。できることなら、ずっとずっと歌い続けたかった。その想いが、〈いつまでも変わらぬココロを もう一度君に届けたい〉という歌詞になったのかもしれない。僕はそう思っている。

「ZARDの曲は、スタンダードでありたい」と、常日頃、彼女は言っていた。
「スタンダード=永遠。例えばビートルズのように耳に馴染むような、永遠に歌い継がれる音楽を目指している」のだと。
 誰もがそれぞれに、ZARDの歌にたくさんの想い出をもっていると思う。
 ZARDの歌を聴いて勇気をもらった。元気になった。迷っている時に闇から救い出してくれた。「pray」のように一緒に海を眺めているだけで幸せだった時を思いだした、etc.……。
 耳に触れた瞬間に、昔その歌を聴いた時の風景や匂いや肌をなでる風の感触や、たくさんの想い出が、まるでデジャヴュのように一瞬にしてよみがえってくる。そんなたくさんの想い出に寄り添っている歌がZARDであり、坂井泉水の歌声なのである。

 あなたにとって“かけがえのないもの”とは? そんな問いかけをしたことがある。彼女はそれに、「命、そして大きな意味での愛ですね」と答えてくれた。
「命」と「愛」──。坂井泉水は天に召されてしまったが、ZARDの歌は、ZARDを愛する人の愛の力で永遠の命を得て、いつまでも人々の心の中で生き続けていくことだろう。それが、彼女の望んでいた「永遠に歌い継がれるスタンダード」ということなのだと、僕は思っている。                                                              part-1(了)※転載を禁ず

by mahalohilo | 2013-06-26 11:58 | ZARD | Trackback | Comments(4)  

Commented by at 2013-10-14 10:08 x
はじめまして。ZARDファンの豆といいます。
ブログを読んで同じように思っている方がいるんだと知って、嬉しかったのでコメント書かせていただきました。

ZARDの曲、彼女の歌声を聴いていると、昔その曲を聴いた頃の思い出や気持ちが蘇ってくるというの、すごく共感できます。
心が優しくなり、何とも言えないノスタルジックな気分になるというか・・そして何度も聴きたくなる。
泉水さんは不思議な魅力を持っている方だなぁと思います。
今でも通勤中、ほぼ毎日のようにZARDを聴いています。
だから今でも時々、亡くなったということが嘘のように思えるんですよね。
ふと思い出すと、残酷な気持ちになりますね・・。
こんなことを言ってはいけないかもしれないですが、私の命が分けられるのなら、泉水さんに分けてあげたかったですね。
彼女が楽しみながら作品を作っていくのを、影ながら応援していきたかったです。
他のファンの皆さん同様、これからも泉水さんの残してくれたたくさんの曲を、ずっと大切にしていくつもりです。

またぜひZARDのこと書いてくださいね。
エピソードなどあったら、よろしくお願いします。
Commented by mahalohilo at 2013-10-14 12:12
豆さん、コメントありがとう。
ZARDを愛する方の言葉に触れると、彼女の歌の大きさと影響力を改めて感じます。ずっと歌っていてほしかった。新しい曲を作り続けてほしかった。ファンの方たち同様に僕もそう思います。でもそれは叶わぬこと。切ないですね。でも彼女が遺してくれた曲たちを聴きながら、坂井泉水さんをいつまでも心に留めていくのが彼女の話していた「永遠のスタンダード」ということなのだと思います。
豆さんにとって一番思い出に寄り添っているのはどの曲ですか?
Commented by ロックなひろぶ at 2014-12-05 17:07 x
こんにちは、以前BONNIE PINKでお世話になりました^^;
http://mahalo39.exblog.jp/16881334/
2014年ツアーも残り東京のみとなり、ネットを彷徨い歩いて…
再び訪れると、「ZARD」の文字に釘付けとなりました。

実は、BONNIE PINKに傾注する前は、ZARDに傾注していました。
それは、坂井泉水ちゃんの訃報をラジオで聴いてからバクハツ。
居ても立っても居られず、献花台の設けられた六本木Beingへと行き
結局、四日間だったろうか、通いました。
その後も青山での音楽葬、その後は…もう数えきれないほどにいろんなことをしてました。

ただ、ふとある時…
「私は結局、ZARD-坂井泉水ちゃんの(生)ライヴには参加出来なかった。
それは、これからもー永遠ーに…」
どうすることも出来ない事実が突き付けられた。

ZARDが好きな事に変わりはないけれど、少しずつ距離を置く様になりました。
自分の中の大切な想い出として。

と、こんな歴史があり(⌒-⌒; )

とても興味深く拝見させて頂きました。
ちょうど、ZARDにとても関係の深い方にメッセージを送った直後でした。
これも、何かのご縁、ひきよせなのだろうなと思いながら…。

乱筆、乱文、長文にて失礼致しました(⌒-⌒; )
Commented by mahalohilo at 2014-12-05 17:53
ハイサイ、ロックなひろぶサン。コメントありがとう。泉水さんが天に召された時に、何度も献花に行かれたんですね。僕は沖縄から手を合わせていました。遠いところに逝ってしまったけれど、歌声を聴くと今もすぐそばに居るようで。音楽は不思議ですよね、時間や距離のない世界へと誘ってくれるから…。

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