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母校の佇まいは変わってなかったですよ、センパイ!

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忌野清志郎さんが、永久の旅立ちをしてしまってから三週間が経つ。
このところ、ずっとRCを聴いていた。
特にRC初期に在籍していた東芝EMI(デビュー当時は東芝音楽工業、現在のEMI Music Japan)時代のベストアルバム2作品『Best of The RC Succession 1970-1980』と『同 1981-1990』をずーっと。

c0193396_1712521.jpgこのアルバムを聴きながら、そういえば実家のどこかにRCのデビューLP『初期のRCサクセション』(アナログ盤)があるはずだ!と、ふと思いだした。

兄貴に買わせたLPだ。当時、金欠高校生の僕は、兄貴に“RCってかっこいいバンドがいるんだ。ゼッタイ買いだよ!”とかなんとかウマいこと言って、買わせたんだっけ(笑)。それが僕の高校の先輩バンドということは内緒にしてね。

音楽が大好きだった兄貴。僕の音楽歴の出発点。子供の頃は、いろんな音楽を(なかば強引に)僕に聴かせてきた兄貴もすっごく気に入って、当時は一緒によく聴いていたな。そんな想い出のあるLPだ。
いけない、いけない、ちょっと感傷的になっちまった(笑)。


今月も月イチの東京取材旅行に行ってきた。
清志郎さんの逝去もあったし、今月上京した時は、母校の日野高に行ってみようと思っていた。それで行ってみた。5年ぶり。

沖縄に引っ越す前に住んでいた家は日野高から徒歩圏内。当時のゴールデン娘(マリン)の、ちょっと長めの散歩コースの途中に日野高はあった。あの頃はよく前を通っていたけど、沖縄に来てからは初めて。ホント久しぶりだった。


c0193396_160474.jpgc0193396_1611449.jpgc0193396_1613623.jpg日野高の佇まいは、ほとんど変わっていなかった。
僕が通ってた頃と正門も一緒だし、校舎も同じ。学校の横の浅川土手の風景も、ほとんど一緒だな。この川沿いの道を歩きながら、僕はいろんなことを思いだしていた。

初夏の頃になると毎年行われた地獄のマラソン大会。今はやっているかどうかわからないけど。僕が高1の時は、学校からダンダラの上り坂を走って多摩動物園を折り返すという地獄のコース。高2の時は、浅川から多摩川の土手をぐるりとまわる長距離コース(女子5キロ、男子10キロ)。高3は憶えていないから、たぶんサボったハズ(笑)。

そうそう、このマラソン大会のために、体育の授業は浅川の土手を端から端まで往復することから始まってたっけ。とにかく当時はよく走らされたなぁ。きっと清志郎さんも、走らされていたのでは!? 
ま、高2ぐらいになると、みんな友達とダベリながら、ほとんど歩くのとかわらないペースだったけど。

コバヤシ先生は、もうとっくに定年になっているだろう。
まだベビースモーカーかな?

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『初期のRCサクセション』は、結局見つからなかった。
来月行ったら、もう一度探してみよう。
兄貴ならどこにあるか知っているんだろうけど、その兄貴も去年10月に逝ってしまったから聞けない。
今頃、清志郎さんと、空の上で出逢ってるかもしれないな。マリンと一緒に。
〈『初期のRC』弟に買わされちゃって〜〉とかボヤキながら、人の良さそうなクシャクシャの笑顔で話している兄貴の姿が浮かんできそうだ。

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by mahalohilo | 2009-05-22 17:15 | music | Trackback | Comments(0)  

キヨシロー先輩、天国でも“ガッチャ、ガッチャ”歌ってください!

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キヨシローさんが亡くなった。
まだ58歳だった。
がん性リンパ管症と戦い続け、2008年には武道館で完全復活ライブを行うまでに回復したが、がんが転移。闘病の末に逝ってしまった。


RCサクセションの忌野清志郎さんは、高校の2年先輩だった。
東京都日野市にある都立日野高等学校。
清志郎さんが二期生、僕が四期生(実は妻も同級生)だった。


新設校ということもあってか、日野高はとても自由な校風だった。
高校の横を流れる浅川の土手を、男子生徒と女子生徒が仲良く並んで登下校するのは普通(40年前には珍しかった)だったし、教室や河原でギターを弾いて歌っているのも日常の風景の一部だった。RCの活動の背景には、そんな自由な校風もあったように思う。


僕が高校に入学した時には、すでにRCサクセションはTBSテレビ系の『ヤング720』に出演したりして、注目を集めていた。アコースティックギターをかき鳴らしながら歌う手拭ハチマキ姿の清志郎さんは、ホントにカッコよかった。後輩の憧れだった。



c0193396_12164519.jpg日野高の清志郎さんの同級生には、俳優の三浦友和さんがいた。
三浦さんも音楽が好きで、当時のRCでは時折パーカッションも担当していたという記憶がある。
そういえば「あいつは顔がイイから手伝ってもらってただけ」と、あの清志郎さんらしい辛口で、当時の三浦さんのことを語っていたっけ。



僕が高校1年の時に、清志郎さんと三浦さんは3年生。
当時、三浦さんには会ったことなかったが、清志郎さんは何度か見かけている。


なかでも今も鮮明に記憶に残っているのが、放課後の美術室での光景だ。
美術の時間内にでき上がらなかった絵を描くために美術室へ行った時のことだ。
教室に入ると、そこに清志郎さんがいた。
理科の実験の時に生徒がいつも着ていた白衣姿で、清志郎さんはカンバスに向かい熱心に絵筆を動かしていた。
あまりの真剣な表情に、声をかけられない雰囲気だった。


美術室の隣の教師部屋をノックする。いつもたばこの煙が充満している教師部屋のドアを開けて、絵を描きあげたい旨を伝え、僕も清志郎さんのそばで描き始めた。
その美術教師が、RCの「ぼくの好きな先生」のモデルにもなった小林先生である。

一緒に絵を描きながら、なにかを話した記憶があるのが、詳細はもう思いだせない。でもその時の情景は、いまでもはっきりと憶えている。



c0193396_202924.jpg次の再会はそれから10年くらい後。僕が洋楽雑誌の編集者時代。清志郎さんのインタビューページの担当として取材に立ちあった時のことだ。

その次は、さらに10年後。今度はフリーランスの音楽ものかきとなっていた僕が、清志郎さんのインタビューをさせてもらった。

インタビューの間はもちろん、写真撮影の時も、片時も象さんギター(アンプ内蔵のギター)を離さず弾きながら話してくれた姿を思いだす。

取材の後で、自分が日野高の後輩だということ、そしてあの“美術室”でのことを尋ねてみた。さすがに一緒に絵を描いたことは憶えていなかったが、「そう、日野高なんだ」と言って微笑んだシャイな表情を思いだす。



アコギをかき鳴らしていた清志郎さんが、ド派手メイクで登場した新生RCの一発目のライブを観た。日仏会館や日比谷野音や武道館etc.…いろんな会場で、いっぱい楽しませてもらったなぁ。



58歳。駆け抜けた人生。でもまだまだやりたいこともあっただろう。
天国でも、ド派手なメイクで“ガッチャ、ガッチャ”と歌っていてください!


先輩のご冥福をお祈りいたします。

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by mahalohilo | 2009-05-03 12:27 | music | Trackback | Comments(0)  

うれしい再会、そして誕生

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ハイサイ!(沖縄方言で“アロハ”みたいな意味かな。ちなみに女性は“ハイタイ”と言います)
二週間の東京出張から昨日沖縄に戻ってきました。
沖縄に移り住んでからの、月イチ沖縄⇔東京の旅。JALのマイレージはずいぶんたまりましたが、この時期の東京と沖縄の温度差はタマりませんねぇ。羽田を飛び立つ時は10℃以下だったのに、沖縄に着いたら、なんと24℃! 着てきたセーターやシャツを1枚脱ぎ、また1枚脱ぎ…。結局はロンTだけに。やっぱり南の島は暖かいなぁ。気持ちイイなぁ。
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空港の建物から外に出ると、爽やかな風が僕を迎えてくれた。湿度の高い沖縄も、この時期は爽やかでとても過ごしやすい。そんなことを思いながら遠くに眼を向けると、迎えに来てくれたファル娘の姿が…。僕を見つけた途端に猛ダッシュ! で、飛びつかれて、顔をペロペロ。よだれまみれになってもカワイイ娘。親バカです(笑)。

今回の東京滞在中に、何度かうれしい再会や出逢いがありました。
なかでも沖縄・宜野湾市(今僕が暮らす所)出身の女性シンガー「多和田えみ」ちゃんとの再会には不思議な縁を感じました。今月はじめ沖縄の情報誌でインタビューした時に、何気なく「東京でも会えたらいいね」と話したことが現実になったのだから。

c0193396_22115361.jpg沖縄ではこういう不思議な偶然によく出逢います。
ある人のことを話していたら、その人が目の前から歩いてきたり。偶然通りかかったら、そこでたまたまお気に入りのバンドがストリートライブをやっていたり。
あと数分遅かったら…その角を曲がらなければ…きっと出逢うことはなかったはず。
でも沖縄では、なにかに導かれるように、それが現実になることが多いのです。

沖縄ではなく東京での再会だったけど、彼女の「うちなー(沖縄)オーラ」がこの再会を導いてくれたのかもしれない。

大きな瞳と笑顔の素敵な彼女に会うと、僕はいつもゲンキをもらえる。
疲れている時にチョコレートとか甘いものを食べると、まるで重い身体から疲れが抜けていくように…。とてもうれしい再会でしたc0193396_221282.jpg
その多和田えみちゃんのサード・ミニ・アルバムが『SWEET SOUL LOVE』(3/18発売)。
この新作は、明るくて元気な彼女の印象を塗り替えるようなセクシーなヴォーカルが聴ける、スウィートなラブソングを収めたSOUL/R&Bアルバムだ。

レースのカーテン越しに射し込む月明かりにくるまれた恋人同士が、ベッドの波間で漂うようにゆるやかに揺れながら夜に溶けていく…。彼女自身も「エロい」と例える、そんな妄想をかきたてられる作品である。
ぜひ、この素敵な妄想を、お試しあれ。
(インタビューは、http://www.excite.co.jp/music/close_up/0903_tawataemi にて掲載中)



東京にいる間に、もうひとつうれしい出来事があった。
それは、沖縄の友達の家のワンコに無事赤ちゃんが産まれたというニュースだ。
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母親になったのはゴールデンレトリバーの「シンディー」。大型犬は多産系だが、シンディーは初産。最初、獣医の診察では赤ちゃんは3匹と言われていた。が、どうだろう。産まれてきたのは7匹。しかも最後の子は、6匹目の後、なんと6時間後に産まれたとか! よかったね、シンディ。みんな無事に産まれて。
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今日、生後10日目の赤ちゃんワンコに初めて会いに行ってきた。
モコモコ動く姿も寝顔もアクビ顔も、なにもかもがカワイイ。これからどんな人生(犬生?)が待っているのだろう。みんなみんな幸せになってほしいなぁ。そう心から祈りながら、あったかい気持ちのまんま家に帰ってきたのでした。


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by mahalohilo | 2009-01-29 22:33 | music | Trackback | Comments(0)