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痛みを二人で半分こにして、レンジでチン!

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5/28のブログにいただいたMさんのコメントを読んでいて、音(歌)が雫のように胸に沁みた経験を思いだした。僕ではなく妻のことですが。
数年前、沖縄の知人との関係がこじれた妻が、ものすごく落ち込んだ時があった。あの時は、普段は明るくて元気な妻がこんなに落ちたのは初めて、というぐらい沈んだ日々でした。

そんな時、偶然に観たTV番組で「スタートライン〜新しい風」が流れてきたのだ。
あれは『僕らの音楽』だったのかな。小渕くんがバックでギターを弾いていたと思う。
この「スタートライン」を聴きながら、妻はぼたぼたと大きな涙の雫をこぼしていた。妻が歌を聴きながら涙を流す。初めて見た姿だった。
驚いた。声をかけられなかった。

そしてしばらく泣いた後で、ふいに妻は「何度でもやりなおせばいいんだよね。今は遠くを見ることにしようっと!」と言って、涙でぐしゃぐしゃの顔に笑みを浮かべた。
それから妻は家事をしながら、よく「スタートライン」を口ずさむようになった。

そんな姿を見ていて妻にも馬場クンのライブを観てほしいなって思った。
彼女を勇気づけた本物の歌を聴かせたかった。
そして、その年の暮れに一緒に中野サンプラザのライブに行ったのだった。
初の日比谷野音を宣言したライブの時である。

妻はその場にいたみんなと一緒に「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を熱唱していた。
「スタートライン〜新しい風」では、やはり、泣いていた。

みんなと幸せな気持ちを分かち合えたライブ空間、そして妻の新たなスタートラインとなった東京への二人旅。

あれは今思えば、痛みを二人で半分こにしてレンジでチン!した瞬間…だったのかな。

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by mahalohilo | 2010-05-31 11:30 | 馬場俊英 | Trackback | Comments(6)  

ファジカルは今、大海原に自由の旗をなびかせ、船出する

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彼らのライブを初めて観たのは、今から4年前、〈Okinawa Amp '06〉というイベントだった。
結成後1年も経たずに4000人の観客を前にしたこのステージでの彼らの第一印象は、表面はザラザラ粗いが、内側にピュアな輝きを秘めた原石を思わせるバンドだなということ。
それが、FUZZY Quartet Row(ファジー・カルテット・ロー)。“未熟な4人が漕ぎだす”という意味を名にした沖縄出身の4人バンドだった。

演奏もヴォーカルも未熟だが、青春期の心の揺らぎや葛藤から生まれた歌は、特有のメロディラインを得て、不思議と響いてきたのを思いだす。何かがありそうな予感があった。
沖縄のバンドなのに、沖縄の匂いをまったく感じさせない潔さも、彼らの存在が気になった原因かもしれない。
なぜなら当時の沖縄のバンドは、琉球音階をとり入れたり、三線や太鼓をアレンジに加えることによってアイデンティティを見いだそうとするバンドが多かったからだ。

「むしろ沖縄のバンドと思われるのがいやだった」と、ヴォーカルの新木は言った。
「沖縄のインディーズ・バンドって、上に上がろうとする気持ちから沖縄を強く出そうとする。逆に自分たちは沖縄出身をメリットにしたくはなかった。それをメンバーと話したわけでもないけど、みんな同じことを思っていた。別に出身地は関係なく、音楽で勝負したいと思う気持ちが、FQRの音に表われているんだと思う」


c0193396_18535240.jpg2007年4月にリリースした初のアルバムが『1st』。
メンバーが結集して初めてできた「Right Answer」をはじめ、ギターの眞志喜が作詞する、青の時代の恋愛像をリアルに繊細に描きだした「F-メモリー」「晴れた暁に」などを収めた初々しい作品になっていた。



c0193396_18541145.jpgセカンドアルバム『2nd〜morning calm〜』は、それから2年後の2009年6月にリリースされた。
“朝凪”という意味のサブタイトルがついたこの作品は、メンバー脱退を含めた荒波を乗り越え、静かな海をまた新たな地平を目指して船出した当時の彼らの心境を描ききったアルバムとなった。

「相変わらずノンフィクションな楽曲たちばかりなところは変わらないけど、前よりOKラインの容量が大きくなったと思う。前は、この曲は今までのファジカルの流れだとムリかな!?と頭で考えたりしてたけど、今はどんな曲でも作ってやれ!という意識になった。ふっきれた気がする」(新木)

それまでのファジカルにはなかったハードな「Sister Rock Client」や、「インターセクション」のようなポップな曲も採り入れた柔軟さも見え隠れする内容だった。

c0193396_15504490.jpgそして3日前、5月27日にサードアルバム『3rd-saparate reap-』がリリースされた。

「この3作目は、今後自分たちがやりたい、表現したい世界観を気づかせてくれたアルバムかなと思う」と新木は言う。
「このアルバムではメンバーが演奏で参加してない曲とか、いろんな挑戦的なこともやってて。必ずバンドで作らなければいけないと勝手に自分で縛りを作ってたところがあったけど、今回はその縛りを解いて自由に遊ばせてもらった」

「10月の花嫁」では、ストリングスが新しいファジカルの世界観を提示しているし、「Day lie waste」のようなポップな色も惜しみなく作品化している。ファジカル色に固執せずに、恐れず自由に楽曲の振れ幅を楽しんでいるようにすら聴こえる。

「これは4作目への助走的な作品」という新木。その言葉通り、この新作は、サウンド面での新たな挑戦の先に、バンドの向かう方向性を確信した、次への期待を持たせるアルバムとなった。

昨日(5/29)、この新作『3rd-saparate reap-』のレコ発ライブ@那覇Cyber Boxを観た。
久しぶりに彼らのライブを観たが、確実にバンドアンサンブルが向上している。
かつては新木を頂点に、ほかのメンバーが支えるトライアングル状だったバンド像が、今は各メンバーが同じ地平に立っている印象だ。
各メンバーが演奏面などでそれぞれに個性を出し、自らの立ち位置を意識したうえで、自信をもって自己表現しながら、たがいに引っ張り上げ合っている。それがアンサンブルに繋がり、バンド力がアップした要因なのだと思う。

そこには前作から加入したベースの親川(たーけー)の存在が大きいと僕は思っている。前任のベーシストはポップな演奏もジャジーなものもできる器用なプレイヤーだった。その彼にくらべて、たーけーは決して器用ではない。はっきりいってロックしかできない不器用なベーシストかもしれない。しかし、ロックなマインドにブレがないぶん、信用できる。このバンドにはなくてはならない精神的な支柱になりえるベーシストという気がするのだ。

c0193396_15552417.jpg昨日のライブが、それを証明していた。緊張の色は見え隠れしていたが後半に向かうにつれて、歌も演奏も加速度的によくなっていった。メンバーの表情もリラックスしていく。そのきっかけは、新木がめちゃブリした親川のグダグダのMCからだった(笑)。彼がバンドのムードメーカーになっているように思った。


『3rd』ができたことで、楽曲もよりバラエティにとみ、そのぶんライブも表現に幅ができたこともプラスに作用していた。あえていわせてもらえるなら、3曲目、ファジカルの隠し球的な三拍子の楽曲を、後半に入って演奏したポップな2曲の後に持ってきてほしかった。個人的にはそれだけ。

MCの時に、客席とステージでの仲間っぽいチャラいやりとりがないのもいい。
バンドの存在感もイイ感じにでてきていたし、良いライブだったと思う。



6月15日からは全国ツアーがスタートする。
6/15=福岡、16=北九州、18=東京・新宿、20=仙台、21=千葉・南柏、23=京都、24=名古屋、25=神戸、27=大阪、そして29=東京・渋谷の全10公演。

近くに来た時は、彼らのライブをぜひ観てほしい。
青いながらも、大海原に自由の旗をなびかせ船出しようとする勇姿を、今、観ておいてほしいと思うから。

ファジカルHPは、http://www.fqr.jp

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by mahalohilo | 2010-05-30 16:01 | 沖縄 | Trackback | Comments(2)  

レンジの中に入れられないものができたなら…

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馬場クンの渋谷ライブで聴いた「一瞬のトワイライト」から溢れでてきた想いを、ただつらつらと書き綴ったブログに、たくさんのおめでとうメッセージをいただいた。
ありがとう。感謝です。

すごく長くもあり、すっごく短くも感じる30年でした。
ただ思うのは、この歳月の間にたくさん、ホントにたくさんの同じ経験をして、同じ想い出を二人で作ったなってこと。

c0193396_14252155.jpg例えば、内外問わずいろんな所を旅行したよなぁ。
僕が若い頃にやっていたモータースポーツ関係(鈴鹿8時間耐久レースなど)の取材には、よく一緒に妻が同行したっけ。(妻のお姉さんは鈴鹿市在住)
東名高速を走っている時、前のトラックが飛ばした小石が僕らの車のフロントガラスを直撃して、一瞬視界が見えなくなった恐怖の体験も、一緒にした。
オートキャンプ場の取材で全国をまわった時も、一緒だった。

音楽も、モータースポーツも、キャンプも、好きなことを仕事にできて、体力的にも金銭的にもあの頃はすっごく大変だけど、楽しみながらやれたことが幸せだったなぁと思う。


たとえ貧しくても、大変でも、若い時ってあまり苦にしてなかったんだよね。逆に、今思い返すと、イイ想い出だったりするから不思議だなって思うんだ。
大変なことは二人なら半ぶんこ、うれしいことは二人なら倍になってたんだね、きっと。


掃除機の中に吸い込めないものも、レンジの中には入れられないものも、これまで二人の暮らしの中にはたくさんあったかもしれない。でもおたがいに、とってもいいココロの距離感で、ここまでこれたのだと思う。


〈たとえば 僕が仕事で少し苦しんでるとき
  うまくいかずに悩んで 出口見つからないとき
   テレビドラマを眺めて ただ何も言わずに笑って
    知らないふりも そんな君の愛し方……〉 by「ただ君を待つ」


これから先、レンジの中に入れられないものができたなら、半ぶんこにして、もう一度二人であたためなおそう。

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by mahalohilo | 2010-05-28 14:34 | 馬場俊英 | Trackback | Comments(4)  

10年前の自分に戻りたいと思ったことはありますか?


c0193396_23434140.jpgもしもあの時、別の道を選んでいたら、どうだっただろう。

悩んで悩んで、迷って迷って、それでも答えが見つからず先のばしにして…。
優柔不断なんだ、で片付ければ簡単かもしれないけれど、これだけは真っ正面から自分と向き合って答えをだしたかった。
それだけ大事なことだったから。一生後悔したくなかったから。

「人はぎりぎりになって、やっと決められる」と、ある人は言う。
大切なことほど、いつまでも決められずに時間だけが流れて、最後の最後、ぎりぎりの状態になった時に、人間の本能が決める。その人は、こうも言っていた。


c0193396_234422.jpgもしもあの時、もうひとつの道を選んでいたら…。

10年前の自分に戻りたいと思ったことはありますか?
僕は、ない? ないと、思う。

20年前は? 30年前は?
やっぱり、ない、かな。
幼なじみの同級生を妻に選んだ時も…
結婚してすぐに仕事をやめようと決めた時も…
音楽ものかきになることを選んだ時も…
沖縄に引っ越そうと決めた時も…

いっぱい悩んで、いっぱい迷ったけれど、もう一度あの時に戻ってやりなおしたいとは思わない。


山もあったし、谷もあった。
たくさん雨にも降られたし、ずっと曇りの日もあった。でも天気の悪い日があったからこそ、ときおり雲間から射し込む太陽のあたたかさや、空の青さにイッパイ幸せを感じてきたのだと思う。

あの頃に戻りたいと思ったことはないけれど、10年後、20年後、30年後……の僕らをのぞいてみたい。
どんなおじいちゃん、おばあちゃんになっているんだろうな。

出逢えたことにありがとう。
選んでくれてありがとう。
来月、結婚30th Anniversary.
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馬場俊英の「Acoustic Circuit 2010〜待ち合わせ〜」。
5/23@渋谷C.C.レモンホール。

「一瞬のトワイライト」を歌う馬場君の歌声を聴きながら、
僕はずっとそんなことを想っていた。

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今のままでいい。ずっとこのままのふたりが、いい。
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by mahalohilo | 2010-05-24 00:09 | 馬場俊英 | Trackback | Comments(20)  

虹の橋の向こうで…きっと大きな笑顔で見守っている

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とてもとっても、あたたかい空間だった。
まるで空から見守る太陽が木々の緑をさらに色づかせるように、そこに集まった人たちをみんな笑顔にかえていく。ゆっくりと流れる初夏の風があたたかい空間に流れ、心の固くなったところをやわらかくしてくれる。そんな時間だった。

c0193396_1434115.jpg5/21、Friday、恵比寿リキッドルーム。
多和田えみの一夜限りのソウルイベント『SOUL POWER presents LOVELY DAY-Special Live Sessions-』。彼女のソウルメイトたちが集ったニュー・マキシシングル『Lovely Day』のリリースパーティだ。

JAM Companyのジャジーなプレイの後でステージに迎え入れられた多和田えみが歌ったのは「やさしく歌って」。ロバータ・フラックのあの名曲を、彼女はロバータのバラッドヴァージョンと、アップビートのファンクヴァージョンで披露する。ハスキーなヴォーカルに“愛”が宿ったソウルレディの歌に会場の人たちの身体が自然と揺れ始める。

最初のゲストは、多和田のバンド、The Soul Infinityのメンバーでもあるパーカション&フルートの岩村乃菜。
「実は彼女がてつやさんとの出逢いをつくってくれた張本人」と多和田はMCで語る。ゴスペラーズのLAでのライブに参加していた岩村が、「多和田えみの『CAN'T REACH』という曲が気になっている」という村上の話を受けて、多和田を紹介したのが始まりだった。そこから交流が始まり、昨夏、ソウルの祭典『SOUL POWER』への出演依頼に。しかし多和田の急病で当日出演キャンセルとなり幻のステージになってしまった。
でもストーリーは、そこで終わりではなかった。この『SOUL POWER』の魂が時を経て紡がれ生まれたのが、村上プロデュースによる多和田のニュー・マキシ『Lovely Day』なのである。

ここで村上が気になっていたという出逢いの曲「CAN'T REACH」が歌われる。

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そして、「I'll Be There」のイントロが奏でられる中で呼び込まれたのが、ゴスペラーズ村上と、Skoop On SomebodyのTAKEとKO-ICHIROだった。官能的なソウルグルーヴ。この豪華なソウルトライアングルはめったに観れるものじゃない。3人によるもう1曲は、アル・グリーンの「Let's Get Together」。『Lovely Day』にも村上とTAKEのユニット「武田と哲也」をフィーチュアして収録されていたこの曲で、さらにホットな夜は流れていく。

この後は、「ここからちょっと男臭くいきます」というTAKE。多和田と村上がステージをおりて、Skoop On Somebodyがデープな曲を披露。「Nice'n Slow」、そして「バラ色」。女性たちの瞳がTAKEに釘付けだ。

ふたたび、多和田のステージに。
新曲「Lovely Day」では、プロデューサーの村上に、コーラスでレコーディングにも参加しているゴスペラーズ北山陽一も登場。JAM Companyも含め、レコーディングメンバーによるスペシャルなセッションを聴かせてくれた。


c0193396_10415936.jpgアンコールのあたたかい声援が続く。
SOULSMANIAとのコラボTでステージに現れたメンバーたち。見慣れない半袖T姿の村上。本人も照れくさそうだ。
会場の傍らには、ライブペインター「DRAGON76」が、今夜のライブイベントの間に描き続けていた作品がすでに完成している。作品の中の笑顔の2人は、今にも空に向かって飛び立ちそうだ。


アンコールのラストに歌われたのが、『Lovely Day』にも収められている「Rainbow」。
愛しい人への想いと感謝を歌に託した曲だった。

〈My rainbow…,Your rainbow……〉

虹の橋を渡ってしまっても、一緒に夢を紡いできた心は繋がっている。

虹の橋の向こうで、きっと“彼”もこの夜の素敵なライブを観ていたはず。
あの大きな笑顔で…。

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(PS)多和田えみ&The Soul Infinityのライブアルバム『SINGS OF SOULS live 2010』が6/23にリリースされる。
今年始めに行った『SINGS OF SOULS』ツアーのファイナル、2/20の地元沖縄・桜坂セントラルのライブを中心に、初日1/15@渋谷O-EASTを加えたソウルグルーヴに満ちた素晴らしいライブアルバムだ。
ツアーに参加できなかった方、そして多和田えみのあたたかいソウルマインドに触れたい方はぜひ聴いてほしいと思う。
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by mahalohilo | 2010-05-22 14:52 | music | Trackback | Comments(2)  

Do As Infinity LIVE TOUR 2010〜ETERNAL FLAME〜@アミュー立川

只今、上京中です。

梅雨に入った沖縄だけど、一昨日、昨日と晴れてエアコンつけるほどあっつーい日だったので、東京は少し涼しく感じます。
でも僕はこの時季の東京が一番好きかな。
朝晩が涼しくて、昼間はちょうどいい気温だから。

c0193396_1652429.jpg昨日、さっそくライブを観に行ってきた。
再活動後、取材をしているDo As Infinityのライブ。しかも地元に近いアミュー立川でのライブだった。
たまたま上京時とライブのタイミングが重なり、実家の近くというのでマネージャーのH氏に連絡して急遽観に行くことにしたのだ。

空港から一度実家に行き、チャリで会場に向かった。心地よい風に吹かれて15分、会場に着くと、すでに人でいっぱいだった。

今回のDo Asのツアーの東京公演はNHKホールを除けばここ立川ライブだけ。すでにソールアウトのNHKのチケットが手に入らなかった人がこの公演に流れてきたのかもしれない。

アミュー立川にライブを観に来たのは何年ぶりになるんだろう。まだ立川市民会館と呼ばれていた時代。最後に観たのは尾崎 豊。しかも彼が日比谷野音でPAからジャンプして足を骨折したツアーの時だったから、いつ以来かは推して知るべし!?

いやー、久しぶりに入った会場に、変わってないなぁーというのが最初の印象だった。

そしてライブはいうと、ツアー3本目ということで、まだ修正や確認しながらやっている感じはぬぐえないけど、幅をもたせた選曲で、新旧のファンも満足できる内容だったと思う。
6/16にリリースされるニューシングル『∞2』からの新曲も2曲披露していた。なかでも伴ちゃんの意向で急遽ツアーメニューに組み込んだという「HARUKA」は胸をうつ曲だった。

なにより伴ちゃんがライブをココロから楽しんでいる姿に、観客も途中から気持ちが溶けて、中盤以降はステージと客席が一体化していた。亮くんも、「今日は、お客さんたちと自分たちの気持ちの波が一緒だった」と言っていたしね。

ただ伴ちゃんが前半から、まったくセーブしてない全力のボーカルに、ノドは大丈夫なのか、最後までもつのかな、とちょっと心配だった(笑)。結局、そんな心配はまったく無用だったけれど。

ライブ終了後に楽屋で会った伴ちゃんは、「明後日から地方です。楽しんできまーす」と笑顔で言っていた。アルバム曲や新曲がライブでさらに練られて、熟成した姿を、今度6/20のNHKホールで見せてもらおうと思っている。

会場に来ている人たちも、みんな幸せそうだった。
地元に来てくれて、Do Asに感謝です。

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by mahalohilo | 2010-05-14 15:53 | music | Trackback | Comments(2)  

激変する北谷町砂辺エリアには米軍人のジョートーアパートがたち並ぶ

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移住6年目に入り、僕らが暮らす沖縄中部も変わりつつある。我が家のまわりを見渡しただけでも、裏の空き地(2軒の外人住宅を取り壊した跡地)には5階建てのきれいな外国人向け賃貸アパートが、またすぐ近くにも3階建ての同じように海が見える外国人向けアパートが建った。その隣の空き地も、アパートが建つ日を待っている。

外国映画やドラマではよくパーティーシーンが登場するが、外人さんは確かにパーティー好きなようだ。ウィークエンドになると、いたるところでBBQやガーデンパーティーをやっている。裏のアパートでも昼のBBQが夜のパーティーに繋がり、それが深夜まで続き、爆音の音楽と話し声で眠れなかったことが何度もある。それにしても、外人さんの声はなんであんなにデカイのだろう!?

以前にも連日連夜のパーティーの大騒ぎが周辺住民の訴えで問題視されたことがあった。結局、直属上司の判断で、そこに住んでいた米軍人は基地内の住居へ転居したのだが、その問題になったエリアが、変貌を続ける沖縄中部の北谷町砂辺である。
北谷町といえば、アメリカンデポやカーニバルパークなどの店舗や、シネコン、巨大スーパー、リゾートホテルが建つ、まるで異国を思わせるリゾート&エンターテイメントエリア。休日ともなれば、基地が近いこともあって外国人の家族連れや若者たちがここに集ってくるから、ここはアメリカ!?と思ってしまうほどだ。

c0193396_15171245.jpgc0193396_15172614.jpgこの日は酷暑だった。陽射しが肌に突き刺さるように痛い。車のエアコンも、強い陽射しに負けてしまうほどだった。
とにかく暑いから、冷たいものでも食べて、身体の中から冷やしたいなと思った時、久しぶりに砂辺のぜんざい屋がふと浮かんだ。
観光客として来ていた頃から、沖縄に来た時は必ず訪れていた店「ぜんざいの富士家」だ。アンティークな雰囲気の変わらない店内にほっとする。テーブルは古いミシン台。そこに運ばれてきたぜんざいの横には、これまた変わらず「亀せん(亀甲せんべい)」がちょこんと置かれているのも、うれしい。今日は、富士家ぜんざいに、バニラソフトをトッピング。おでこが痛ぁ〜となるくらい、冷え冷えだぁ。


c0193396_15183171.jpg身体が冷えたところで、防波堤へ。防波堤にはグラフィティーが描かれていて、新しいものもあれば、もう消えかかっているものもある。
防波堤沿いを歩いていると、きれいに整備された休憩スペースが。屋根つきの休憩所の前は広くなり、夕涼みにはサイコーだろうな。これはいつ頃、整備したのだろう? そんなに前ではないはずだ。


c0193396_151746100.jpgc0193396_1518310.jpgこのあたりから先の海沿いには、外国人向けの賃貸住宅が立ち並ぶ。道を隔てたすぐ前が海。しかも西向きだから、目の前の水平線に太陽が沈むベストビューだ。相当、家賃も高いはず。
そこからさらに進み、一本道を入ると、そこは同じカタチをした連棟式の賃貸住宅がずらーり。つい数年前まではなにもなかったエリアだ。停まっている車は「Y」ナンバーばかり。一見、見た目はジョートーそうだけど、はっきり言って安っぽい作り。ただ建物の中はきっと広いのだろう。外国人用の賃貸住宅用の建坪は(たしか)100平米以上、火災報知器とガス探知機常備、2階以上はベランダに非常梯子など、米軍の細かいインスペクション(検査)があるからだ。このインスペクション項目をすべてクリアしないと貸せないのである。

なぜそこまでして外国人向けの住宅を建て続けるのか。その理由は、米軍関係者の住宅には、日本政府から「思いやり予算」が支給されるため、1軒あたり、?十万円という高い家賃収入が見込めるからだ。
「思いやり予算」とは、1978年に当時の金丸防衛庁長官が、在日米軍基地で働く日本人従業員の労務費の一部(62億円)を、「思いやり」という名目で負担したことに始まったもの。その後、この予算は拡大し、あくまで米軍が負担すべき基地の運営費用の一部、労務費のほか、訓練移設費、住居費や水道光熱費、さらに娯楽・保養施設などのハコモノ、果ては労務時に限られるのに、プライベートで使用する高速道路代金までも、日本が負担するに至っている。

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話を戻そう。この思いやり予算があるために、土地持ちや不動産会社は、建てるなら外国人向けの賃貸住宅を!となる。北谷に限らず、基地の近くのエリアにはたくさんの外国人向けのアパートなどが立ち並んでいる。アラハビーチ沿いのベストビューに立ち並ぶエゲツナイ色やデザインのマンションは、どれもがそのテの住宅だ。

c0193396_15181763.jpg砂辺の外国人ジョートーアパートと道を隔てて、古びた町営砂辺団地が建っている。
思いやり予算でぬくぬくとジョートーアパートで暮らす米軍人たち。
そして、負担を強いられて税金を払う日本国民の住まいが、この古びた狭い団地という、この落差はいったいなんなのか。

このままでいいのだろうか。開始当初から昨年までに日本が負担した駐留経費の総額は、すでに3兆円を超えた。米軍にとっては、なんともありがたい、たれ流し状態の予算。これはすべて日本国民の血税が使われているのである。

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by mahalohilo | 2010-05-09 15:45 | 沖縄 | Trackback | Comments(2)  

沖縄のきれいな海を子供たちにも残したい。いつまでも守りたい…

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毎年ゴールデンウィーク恒例の那覇ハーリーが終わった途端、
沖縄は昨日から梅雨入りしました。
梅雨と聞くと、これからずーっと雨模様の日が続くのかな、と思いがちだが、
おじぃやおばぁによると、沖縄では梅雨の方が晴れる日が多いさぁ、とのこと。
確かに、1日中雨が降ることはないかも。
ざざっとスコールのように降るか、午前中はしとしと雨、午後からは晴れ、
なんてもことも多いにある沖縄だから。

c0193396_111292.jpg雨が降りだしたら、軒先を借りて、あがるまで雨宿り。
そのうちあがるさぁ、というのが沖縄流です。
結局は、なんくるないさ〜(=なんとかなるよ)が
ベースにある島なんですね。

ちなみに梅雨入り初日の昨日は、26度のあっつい晴れ日。
今日は一転して、朝からしとしと雨です。
風が少しある。その風が、もやぁっと生暖かい。
空は雨雲が覆っているけど、こんな風のある日には雲が流れて、午後から晴れ間が見え隠れするかもしれないな。
今日は原稿書きで部屋にカンヅメだから、雨でもいいか。


c0193396_10531143.jpgc0193396_10534058.jpg普天間問題が全国レベルで取り上げられるようになった。国外・県外移転を願う県民の想いがこれまで全国に伝わらなかったことを思えば喜ばしいことだが、また県内移転という最悪のシナリオに向かっている。毎日毎日頭上を飛び交うヘリコプターの爆音にさらされ、いつ大事故になるかもしれない恐怖の中で生活する宜野湾市民。小学校の真上をすれすれに着陸する軍用機。いつになったらこの危険が取り除かれるのか。今回の政権交代に期待した県民の願いは、また裏切られるのか。
もうこれ以上、基地は必要ない。海をこれ以上汚染してほしくない。
海兵隊を受け入れたいと申し出ているグアムやテニアンなどの国外に即時出ていってほしい、と県民は願っている。

それでも抑止力という言葉に惑わされ続ける政府。居心地の良い沖縄に居座りたい米軍。彼らが沖縄から出たくない理由は、沖縄は気候はいいし、環境もいい。さらには日本政府から「思いやり予算」という名の巨額のカネまで米軍に支払われているからである。米軍人の住居費や水道光熱費などのすべてを、我々が支払う日本の税金でまかなってくれるこんなにイイ国、島から出て行きたくないと考えるのはあたりまえだろう。

それにしても、この「思いやり予算」が日本政府から支払われていることを、米軍上層部は一般の軍人は知らせていないらしいのだ。ひどい話である。だから一般軍人は、「カネももらわずに自分たちは日本を守ってやってるんだぞ!」という意識を持ち、それが態度にあらわれているのである。

まずは「思いやり予算」を廃止することを考えるべきだと思う。
そして、地元が望んでいる国外の地に即刻移転してほしいと願う。

2004年、宜野湾市の沖縄国際大学にヘリが墜落した事実を、もう一度思いだしてほしい。
普天間基地周辺の住民にとって、危険は常にとなりあわせなのだ。
ヘリが墜落した日、我が家の頭上を飛び交っていたのが墜落したヘリだった。
バタバタとうるさいローターの音が今でも耳に残っている。
朝から上空を旋回していたヘリの音が急に聞こえなくなったなと思った時、基地の反対側にある大学に墜落していたことを後で知った。

沖縄に暮らしているからこそ知る事実。恐怖。米軍人の破天荒な振る舞いや態度。この島にいなければ、わからないことだ。だからこそ一刻も早くこの負担を取り除く国外移転を県民は望んでいるのである。

それにしても政府の人たちが普天間基地を視察する時は、なんで休日なのだろうと思う。
そんな日にはヘリや軍用機は飛んでいないのに。静かな普天間を見に来てもなんの意味がないと思うのだが…。

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このきれいな海を守りたい…。
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by mahalohilo | 2010-05-07 11:15 | 沖縄 | Trackback | Comments(4)