
上京中です。
今日の東京は暖かくなったとはいえ、やはり沖縄とはくらべものにならない。
温度差10度以上はやはりこたえるなぁ。
今回東京にいる間に、部屋を片付けていたら以前使っていたMACが出てきた。
メインPCのバックアップ用に使っていたノート型だ。
久しぶりに立ち上げてのぞいてみると、いろんな懐かしい原稿があって、時間の経つのも忘れて読み入ってしまった。
その中に馬場俊英君の原稿も数点あった。
僕が初めて馬場君のことを書いたのは、サードシングル「明日はどっちだ」について。
当時のCBSソニー出版(現ソニーマガジンズ)の「Gb」という音楽誌に書いたものだ。
その時、彼の存在は佐藤聖子に楽曲提供をしている作家としては知っていた。
彼の書く楽曲のテイストが僕好みだったこともあって、その後、彼自身がアーティスト・デビューしてからも聴いてはいた。
ただサードシングルの時点ではまだ彼に会ったことがなかった。
だからこの原稿は、楽曲を聴いて僕自身が感じたことを、そのまま書いている。
文末に「きっと感性豊かでナイーヴな人に違いない」と綴っているが、その印象は決してまちがってはいなかった。彼の歌や歌声からだけで受けた印象は、今思えば馬場俊英そのものだった。
せっかくだから、その時の「Gb」の原稿をここに転載したいと思う。
もっとほかにもあるはずだから、見つけたらその時にでもまた読んでもらいたいと思っている。
■馬場俊英3rd.Sg「明日はどっちだ」(「Gb」1997年2月号)

ひとつの恋愛が終わる瞬間の捉え方って人それぞれ違うものだなと思う。特にその瞬間を歌にするとき、フィクション、ノンフィクションを問わず作り手であるアーティストの主観が歌の中に溶け込んでいて、とても興味深い。
佐藤聖子に、「Heartbeats Groove」や「恋をするなら」といった作品を提供している馬場俊英の場合はどうか。これがまた、実にナイーヴな表情が見え隠れしているのである。
例えば、彼のデビュー・シングル「星を待ってる」では、彼女に別れを告げられた帰り道で、もう電話もしないし君のこと忘れるから、ただ帰り道だけは空を見上げて歩いて。僕はここでちょっと星を待ってるから…とつらい気持ちをそっと抑え込みながら伝える詞がある。
ふつうなら彼女に別れの理由を問いただしたり、責める言葉のひとつやふたつ投げかけるんだろうけど、彼の場合はすべてを飲み込んで、時々は星を見上げて歩いてほしい。きっと星が何かを運ぶはずだから、とだけ伝える。そのあたりの優しさやナイーヴな感性にジーンとさせられる。
そして1月22日にリリースされたサード・シングル「明日はどっちだ」でも、別れのシーンを通して、彼のロマンチシズムとポジティヴさが浮き彫りにされる。
そこでは、ベランダに佇み、うっすらと明けゆく空を見ながら、いつか彼女と交わした約束の行方を星に尋ねたけど、答えを待たずに夜が明けていく、といまだに忘れきれない想いを歌にする。
しかしこの主人公は、いつまでも未練タラタラとはしていない。夜が明け、朝の爽やかな空気を吸い込むうちに、淋しくってもしょうがない、涙ぐんでも情けない、顔を上げて明日に向かって歩いて行こう、と決意する。本当は心の中は痛みでいっぱいなのに、あえて気持ちを奮い立たせようとする。そこに男のロマンを感じるのだ。
2月には、1st..アルバムもリリースされる馬場俊英。彼はどんな人なのだろう。きっと感性豊かでナイーヴな人に違いない。彼の歌を聴きながら、僕はそう思っているんだけど…ね。
text by 伊藤博伸